聖徳太子 |
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2017年 01月 28日
一月も残り少なくなった週末は、久し振りの除雪作業で汗を流しました。 休日であれば、昼間の明るい、しかも好きな時間に気儘な作業となるので 結構楽しいものです。ときおりご近所の方ともお話が出来ますし~! そんな冬の生活のなか、今日は聖徳太子のことなどを少し・・・・ ここ二、三年頃前から、 高校歴史教科書での聖徳太子の記載に変化があることをご存知でしょうか。 聖徳太子といえば、「憲法十七条」や「冠位十二階」「遣隋使の派遣」など、 今までその数々の偉業を誰でもが教科書で勉強してきましたね。 また身近なところで、旧一万円札の肖像として用いられ、疑う余地もないほどの人物。 私など聖徳太子様様であったことは当然~! 更に現存する世界最古の木造建築「法隆寺」も彼のゆかりの寺としてインプット。 確かに飛鳥時代に仏教を崇拝する聖徳太子なる人物はいたことは確かなようです。 ところが当時は「厩戸王」(うまやとおう)なる名前。 「聖徳太子」なる称号は後世になってから、意図的に彼を称えるためににつけられたもの。 (つまり日本書紀編纂の際に聖徳太子として捏造された虚像との判断によるもの) そこで昨今の教科書での記載も、「厩戸王」(聖徳太子)と変更。 そのうち聖徳太子の文字も消えていくらしい。 つまり最近の自由な歴史研究から、今までの通説から脱却する方向に。 このことは歴史の解釈も進化しているということでしょうか。 ≪宮内庁に保管されている「唐本御影」よりの肖像画 ~ウィキペディアより~ 但し、当肖像画は後年別人を描いたと言われています≫ 私が数年前に法隆寺に興味を持ち始め色々と調べていくにつれ、 その都度突き当たるのがその背景の歴史の謎。 ≪法隆寺の拝観券から≫ 現在の法隆寺に関する解釈を巡り、明治以来からの非再建・再建の熾烈な紛争は 昭和14年に焼失後の旧若草伽藍が発掘されたことにより一応解決の方向に。 (日本書紀に天智9年(670)焼失の記載があることと一致) では現存法隆寺は、誰が?何時?何のために? というのも厩戸王本人、母、妃は推古30年(622)に相次いで突然の変死。 更にその子山背大兄王など残された一族郎党は皇極2年(643)に皇位継承を巡って急襲され全滅。 現在の法隆寺の謎については、これまた長くなるので別の機会に・・・ こうして厩戸王亡きあと1世紀経った養老4年(720)年に日本書紀が編纂。 ときの権力者は天武天皇。 その日本書紀には、正史であるにも関わらず、 厩戸王のことを聖徳太子として信仰の教祖のように崇め奉るなど不可解な描写を。 その他にも様々なる矛盾で成り立っています。 いつの時代でも、歴史というものは勝者が都合の良いように書き換えるもの。 日本書紀も勝者が編纂した歴史書であると言われ、辻褄の合わないことが多々。 ひとつは皇極4年(645)6月の「乙巳の変」。 このとき蘇我入鹿の首を奪い取り、蘇我氏を滅亡に追いやった事件ですが、 いわゆる大化の改新に移行するための 中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足(後の藤原鎌足)によるクーデター。 この事件を正当化するがために、蘇我氏を悪者にし、 それを補うために太子信仰を助長したとも? 更に日本書紀では遣隋使を全く無視し遣唐使との記述。 これは魏志倭人伝に記載されている、倭国筑紫王朝との交流を抹消したいがためでは。 かって九州志賀島で見つけられた金印(漢委奴国王印)から分かるように、 また魏志倭人伝に記載されている倭国の様子などの描写からみても 当時の日本の王朝は九州筑紫にあったと思われますが、 それらを認めたくないため、書記では一切触れず抹消したのでは? その他にも気になる点は多岐にわたっていますが、 いずれにしても日本書紀編纂者は、 自分達が万世一系のもとの天皇であることを正当化させるために 脚色した部分は多いだろうと思われます。 そのために過度の太子信仰を煽り、逆に仏教も盛んになり、統一国家も得られた訳ですが。 そうなると、聖徳太子もあの世でまんざらではないと考えているかも知れません。 ただ蘇我氏だけが悪者になり浮かばれないことになりますね・・・ 歴史が意図的に流れを変えられたとしても、 歴史なるものは造るものだと考えると、 何となく納得するような不思議な気持ちになってしまいます・・・・ ただ史料がないにしても、これからの自由なる解釈が益々盛んになって 真実はもとより、それを超越した良い時代が展開すること望むばかりです。
by ks-226
| 2017-01-28 18:30
| 古都・歴史
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